モンゴル恐竜紀行

                               1995年8月17日〜8月24日


1 モンゴルへ

 事の起こりはこうであった。今年(95年)始め、某大手旅行社が中国内蒙古自治区から モンゴルのウランバートルまでバスを利用して化石発掘旅行を企画した。かねがねモンゴ ルに憧れていた私は、いち早く申し込みをした。ところが、途中ゴビで3泊テント暮らし という苛酷な日程が災いしたか、宣伝が功を奏しなかったか、採算を大きく下回る申込者 しか集まらず、予定の一月前に企画は中止になってしまった。
 ショックを受け、あわてたのは私だ。前々から近場は英会話の先生から遠くは南アフリ カのペンフレンドにまで、モンゴルに行くと触れ回っていたのだから。今さら引っ込みが つかない。どうしようと「地球の歩き方」を眺めていると、ゴビの化石発掘と乗馬体験ツ アーの記事に目がとまった。これだ、これっきゃない!!即、主催するS旅行社に申し込み した。幸い、日程は当初予定していた8月17日から8日間。調度いい。乗馬はどうでもい いが、現地で発掘できるし、ウランバートルの博物館を見学できるのが楽しみだ。
 出発は名古屋空港からモンゴル航空(MIAT)のボーイング727だ。司馬 遼太郎 の「街道を行く モンゴル紀行」を読むと、彼も同じ機種でハバロフスクに向かっている 。それが1973年のことだ。22年後もウランバートルに直行できるだけで、変わりない。事 情通の同行者によると、ウランバートル空港の滑走路は短くて、ジャンボ機は発着できな いのだという。途中ソウルで給油し、機が到着したのは夜の11時近くだった。規模は日本 の地方空港程度である。ここで現地のガイド、オドントヤさんの出迎えを受け、ホテルに向かう 。明日は5時起きで南ゴビへフライトだ。


2 南ゴビで

 ソ連製のアントノフ機でウムヌ(南)ゴビのツーリストキャンプへ向かった。大地は白 茶色で、所々に緑の山並みが見える。1時間半程で、機は草原に着陸した。吹流し1本の 他には何もない。その傍らにツーリストキャンプがある。ゲル−包(パオ)−が50あまり 、食堂とトイレ、シャワールームが主な施設だ。ほかにカラオケバー、ドルショップも隅 にある。これが駐屯地のように柵に囲まれている。遥か南にはゴルバンサイハン山地がな だらかに連なる。あとはゆるやかな起伏の平原。よく、ゴビの砂漠というが、草は生えて いる。ただ、まばらなので遠くを見ると緑だが、真下は地面の色になる。数キロ先にゲル が幾つか見える。馬の群れが草を食んでいる。


 今日は、ヨリーン・アム(鷹の谷)へピクニック。途中、ゴビ自然博物館の見学もある 。マイクロバスで南に70km。山ふところに分け入る。轍(わだち)が道になっている。所 々にゲルや家畜。草原が終わりになった頃、鉄のゲートがあり、ゴビ自然博物館はある。 実はここには期待していた。旅行社の受付の女性は、「私は行ったことはないけれど、ゴ ビの博物館はすごいらしいですよ。」と言ったのだ。でも、小さい建物だ。15m 四方程の 1階建てだ。脇にはなにやら恐竜の絵の看板があるのだが、 トリケラトプスが描いてある 。ありゃ、アメリカの恐竜じゃないか。せめて プロトケラトプスに描き直してほしい。
 中に入って唖然。恐竜関係はプロトケラトプス 1体と丸い卵1塊しかない。それでも気 を取り直して写真を撮る。一応、職員の女性に「これは本物の化石ですか?」と尋ねる。 英語を解してくれて、彼女はうなずいた。あとは、現地の動物の剥製、毛皮などだ。他に 2棟建物があって、それぞれドルショップの土産物屋だった。まあ、こんな観光客しか来 ない、それも夏場だけの所に凄い物があると期待したのが甘かった。まだまだメインはこ れからだ。目的地の渓谷は川が流れ、信じられないことに、雪渓が残っていた。ナキウサ ギが鳥の囀りのように鳴き、冬のためにせっせと草を刈っては巣穴に運び込んでいた。


3 バヤンザク探訪へ


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