■SVP2002年度総会レポ−ト


ポスト・ミーティング・トリップ 採石場にてブリーフィング
○我オフィアドンを発見せり

 あっという間の4日間が過ぎ、今年のSVP総会は無事終了した。
10月13日朝7時半、筆者はNCEDのロビ−で新谷さんと待ち合わ
せ、いよいよこれからフィ−ルド・トリップに出発である。残念ながら、
今回は日程の都合もあって、フィ−ルドには1泊2日しかいられない
が、その間に可能な限り濃い取材活動をするつもりであった。

 今日はこれから、SVP参加者たちのポスト・ミ−ティング・トリップ
の後にくっついて、ペルム紀前期の代表的なサイトを訪れ、その後
2番目のサイトに移動する。この第2のサイトは1996年に発見された
ばかりで、時代的には最初のサイトよりやや遡る石炭紀後期末のも
のである。すでに、このサイト自体については公式に報告されている
が、まだ本格的な調査は始まったばかりで、いその確な場所を記す
ことはできない。今回の総会が始まる前日、キッセル氏と新谷さんは
すでにそのサイトに1日へばりつき、幾つもの興味深い化石を発見し
ているという。じつに楽しみだ。

 などと言う内に出発の時間が迫ってきた。ス−ツケ−スを引っ張っ
て建物のそとに出ると、すでに筆者の便乗させていただくワゴン車が
待っている。ここで初めてキッセル氏とお目に掛かり、ご挨拶。長身
で物静かな、貴公子然とした方ある。今回氏はこの車ではるばるカ
ナダのトロントからシカゴを経由して走ってこられたとの事だった。

後ろのスペ−スには、発掘道具一式の他、これから行くサイトで発見
された目ぼしい標本もみな積み込まれ、さながら移動研究室である。
なるほどこれなら車で移動した方が便利に違いない。

 午前8時、フィ−ルド・トリップ御一行様を乗せたバスが動きだした。
後に続くのはわれわれ3人の乗ったワゴン、それに、かのロバ−ト・レ
イズ博士とその研究室のスタッフを乗せた車がもう1台。このキャラバ
ンは、これからI−44をたどって一路オクラホマ南西を目指し、チカシャ−
を過ぎ、ロ−トンの手前で高速を降りると、そこからほど遠からぬ某セ
メント会社の採石場へと向かう。

 途中、先導するバスに急病人が出て、救急車待ちのためしばらく停
車するというハプニングはあったものの、それ以外何事もなく、3時間
ばかりのドライブの後、われわれ一行はだだっぴろい、殺風景な採石
場の一角に車を止めた。ここで、参加者全員にヘルメットが配られ、説
明を受ける。ここは、オルドビス紀の石灰岩層に二次的に割り込んだ
ペルム紀前期の充填堆積物の露頭で、この堆積物の中に大量の陸上
四足動物の化石が混じっている。ただし、ここで産出する化石の90%
までは原始的な真正爬虫類カプトリヌスで、盤竜類その他の化石はま
れであるという。

 それではお時間までということで、さっそく皆は砕かれた石の積み上
げられた、戦隊もののロケ地のような風景の中へと散っていく。ここで
はもっぱら、割れた石の断面に見える化石を探すため、ハンマやたが
ねを使う人はいない。筆者も、石のごろごろする崩れやすい足場の上
で、何度か転びそうになりつつ足元に目をこらして歩き回るが、いかん
せん物が恐竜と違って小さい上に、岩とよく似た色をしていて大変見分
けにくい。目の慣れていない素人が、いきなりその道のプロ(実際、ここ
にいる人たちの中には、ペルム紀陸上脊椎動物が専門だという人がか
なりいた)に混じっていい仕事などできるわけはない。小1時間も捜し回っ
たが、ついに化石の痕跡すら見当たらない。しかし、その間に新谷さん
とキッセル氏はかなりの数の骨を拾い集めていた。これがプロである。

 じゃあ、ここらでちょっと河岸を変えましょう、と全員乗り物に戻り、石
灰岩を掘り尽くされた礫砂漠のような採石場跡を反対側の外れまで移
動する。このあたりは明るい褐色の充填堆積物の地層が剥き出しに
なり、発破をかけてみたら売り物にならない岩が出てきたのでそのまま
この現場は放棄しました、とでも言いたげに、崖の表面からごっそり落
ちた大きな岩の塊がそのままごろごろ転がっている。岩陰にところどこ
ろタンブルウィ−ドが生えている他は、見渡すかぎり草1本なく、空は
良く晴れているものの、肌に当たる風はすでに冬を思わせる。

 しかし、こちらは今までの場所とは違って、大変化石の所在がわかり
やすい。肌目の粗い凝灰岩のような堆積物の団塊の中に、目を凝らす
と、小さな無数の骨がびっしりと埋まっている。いずれもカプトリヌス類
の骨格の一部である。新谷さんから道具・・アイスピックを細長くしたよ
うな奴だが、何とよぶのかわからない・・を借り、骨を取り出せるかどう
か試してみるが、意外と堆積物が固くてなかなか思うように行かない。
結局皆がやっていうように、基盤ごと持ち帰って顕微鏡の下でゆっくり
削り出すのが最善のようだが、自分がカプトリヌスの骨など持ち帰って
も意味がないので、今回はこれ以上皆さんの邪魔はせず、見学に徹す
ことにする。

 ここでは、皆さんかなりの収穫をあげていた。キッセル氏など、ノジュ−
ルの中にすっぽり埋まったプトリヌスの頭骨を見つけている。筆者はそ
の間をカメラを持ってうろつき回り、メモをとり、高いところに登って風景
写真を撮りまくる。筆者の不審な行動が浮いていたらしく、あんたの専
門は何か、やっぱりペルム紀を専攻しているのか、何かいいものは見
つけたかなどと、何人もの人が声をかけてくる。いえ、あっしゃ通りすが
りのしがねえサイエンス・ライタ−で。どちらさんもまっぴら御免こうむり
やす、と、皆さんの獲物を片っ端から撮影させてもらう。

 てなことをやってる内に、かれこれ2時間ほど経っただろうか。ツア−
の皆さんはこれからテキサスまで行かなくてはならないし、我々の方は
これからさらに、オクラホマ南東まで移動しなければならない。名残は
惜しいが、ここで解散である。

 バスの一行と別れたわれわれ、すなわちキッセル氏とレイズ博士の
車は、今朝来た道を都まで引き返し、チカシャ−で高速を出て右へ折
れ、この町で遅い昼食を食べた後、傾きかけた陽射しの中を次のサイ
トへとひた走る。途中、車内でお2人にいろいろとお話をうかがう。これ
から行く場所は、地元の研究者ではなく、はるばるテキサスのラボック
からやって来たテキサス工科大学の学生が発見したそうで・・と、いう
ことは、シャンカ−ル・チャタジ−博士のところの学生であろう・・、エイ
ダという田舎町の近くにあり、一見したところ道路脇の何の変哲もない
切り通しの斜面にしか見えないという。

しかし、そこからは、量こそ多くはないが盤竜類のオフィアコドンの一
連の脊椎、スフェナコドンの顎骨、ディアデクテス類の脊椎など、重要
な化石が次々に見つかっており、非常に侮りがたいサイトのようだ。
ディアデクテスか……。う−ん、あの辺は盲点だなあ。ディアデクテ
スと聞いても、思い出すのはハ−ヴァ−ド大の比較動物学博物館に
あった組み立て骨格くらいのものだ。あれは確かに見事なものだった
が。そういえば、今ディアデクテス類というタクソンには何属ほど含ま
れるのだろう? キッセル氏に尋ねると、すでに6属も確認されている
という。そんな事も知らんかったなあ。

 やがて、もう大分陽も西に傾いた夕方4時過ぎ、突然車はゆるやか
な坂道の途中で道をそれ、路肩の私道の入口らしい空き地に花を突っ
込んで停車した。あれ? と思ったら、ここが我々の目的地、OMNH
 V1005サイトである。

 なるほど……これは気がつかんわ。ほんっとに、なーーんの変哲も
ない道路脇の斜面にすぎない。雑草が生え、雨水に浸食されて自然
に水路ができた、100 メ−トルたらずの土の斜面に、こうしてわざわ
ざカナダや日本からも発掘にやってくるほどのお宝が眠っているなど、
一体誰に想像できようか。たぶん、この道路を切り開く時も、それとは
知らず、ずいぶん貴重な化石が掘り出されたすてられたんだろうな。

 それより、ぐずぐずしていると日が暮れる。それから2時間ばかり、
われわれは斜面にはいつくばり、水の流れた跡を中心に、地表に現
れた化石を探し続けた。しかし、もともと化石の少ない場所でもあり、
めぼしい収穫もないまま、すでに暮色が垂れ込めてくる。

まあ、今日はこのくらいにしておいて、明日の発掘に期待するとしよ
う。レイズ博士一行はここから帰国の途につき、残るのは筆者とキッ
セル氏、新谷さんの3人のみである。この現場から、ものの15分も走
れば最寄りの田舎町、エイダに到着する。この夜は町のレストランで
新谷さんおすすめの、アイスクリ−ムがたっぷりかかった焼き立ての
アップルパイなど食べ、さっさとモ−テルに部屋をとって明日に備える
こととする。

 だが、その夜モ−テルの部屋でお2人が見せて下さった、このサイト
でのこれまでの収穫は、思わず眠気も吹っ飛ぶようなものばかりだっ
た。オフィアコドンの完全な上腕骨、歯の残ったスフェナコドンの顎骨、
ディアデクテスの棘突起のある脊椎などが、モ−テルのベッドカバ−の
上に次々と無造作に並べられていく。中でもとりわけ目を引いたのは、
SVP総会の前日にここで新谷さんが見つけたばかりという、幾つにも
折れた1本の棘突起であった。写真でもおわかりのように、それは先
端が横方向にやや広がり、全体に畳んだ扇子、ないし笏のような形を
している。一体何かと思ったら、これが何と、プラティヒストリックスの棘
突起である。

 恐竜以外のマイナ−生物、とりわけ石炭紀の両生類などというもの
に興味がおありの方なら(あまり多くはないと思うが)、プラティヒストリッ
クスの名前も、そのあまりにも特異な姿も、先刻ご承知のことだろう。
いくら石炭紀後期からペルム紀前期にかけ、背中に帆を生やすのが
はやりであったとはいえ、プラティヒストリックスまでが、なんでこんな
棘突起を伸ばさにゃならんのか。両生類の分際で。しかも、今回初め
て知ったのだが、プラティヒストリックスの棘突起はご覧のように先端
が横に広い。われわれがなんとなくイメ−ジしていた、ディメトロドンの
ような単純な帆とはまったく違う構造だ。

もちろん両生類が体温調節のための帆を持つ方がおかしいと言えば
その通りだが、だとしたらサンショウウオみたいな奴が背中に分厚い
先太の帆を背負う理由とは一体何だ? どう考えても納得がいかん。
これはまた、是非調べてみなきゃならん宿題が1つ増えたようだ。こり
ゃ、ますます明日が楽しみだ。

採石場風景


化石探しにいそしむ人々


化石探しにいそしむ人々


キッセル氏が発見した
カプトリヌスの頭入りノジュール


カプトリヌスの頭骨


カプトリヌス骨格入りノジュール


エイダ近郊の発掘場にて骨を探す


左から2人目 ロバート・レイズ博士
中央 キッセル氏
4人目 新谷明子さん


プラティヒストリックスの棘突起

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