NPO法人 福井恐竜博物館 後援会
中国恐竜体験の旅(雲南省) 2004年8月20日〜24日(火
)

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 道々聞くところでは、この現場を含め、この地に自貢を上回る博物館建設計画があるそうだ。董教授自身の研究施設も予定されている。道筋の崖には前期ジュラ紀と中期ジュラ紀の境界がわかるところもあった。

 かなり歩き、ため池の向こうにある家が董教授の家と聞かされる。教授は中国各地に研究用の別宅を持っているそうだ。お金持ちなのだろう。その家を目指し歩く。一見山奥だが、田畑はよく耕されている。

道端の木は柳かと思って尋ねると、李氏によればユーカリだそうだ。ユーカリは中国にも数種生えているという。サボテンも畦に自生している。日本人にもなじみ深い田園風景なのだが、この二つが異郷にいることを思い出させる。

 ため池の堤を廻り、家にたどりつく。レンガ造りの普通の家に見える。無人ではなかった。留守中の管理でも頼んでいるのか、若い親子が出てきた。董教授や私たちを見て、屋外に遠慮する。

教授は私たちを招きいれる。中は3DK。衛星放送のTVもある。バスルームも完備している。もっともあとでトイレを借りたら、浴槽には魚が泳いでいた。寝室の書棚には数冊の専門書と化石。机の花瓶は欠けていた
が元朝のものという。付近で出土したのだろう。ここで一休みする。

 ここで、東先生が、チュアンジエサウルス化石産出地の層位について董教授に確認する。後援会がつくった資料のUが正しく、地層は上部ジュラの下から2番目、70M±となっているところだそうだ。

もうひとつ、私から質問した。チュアンジエサウルスの原記載ではケティオサウルス科となっているが、幕張の恐竜博の図録ではマメンキサウルス科になっている。これは董教授の研究によるものと思うが、このあたりの経緯について教えてほしいと頼んだ。董教授は竜脚類の3つの科、カマラサウルス科、ディプロドクス科、両者の中間にあたるものとしてマメンキサウルス科を説明した。チュアンジエサウルスについては、頸が長い点から
最初からマメンキサウルス科だと思ったと言っていたが、それ以上のことは、そこではわからなかった。
もしかしたら、原記載と同時期に董教授はこの発掘現場で研究をし、原記載をあまり認めていないのかもしれないと感じられた。


 前期ジュラと中期ジュラの境界


 ため池の向こうに董教授別邸が


 衛星TVも見られる董教授別邸