シルクロード恐竜紀行’94アルバム編



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ウルムチ市街・・・環球大酒店から眺めた市街

ウルムチの晩餐・・・環球大酒店で。左側は李 大建先生、右は劉 長剣さん。最初は旨かったが、
          やがてピーマンやカシューナッツの順列・組合せにげんなりさせられる。

ウルムチの道路・・・途中の道路。驢馬車がハバをきかせている。

ウルムチの市場・・・途中、車から撮った市場。

瓜売り街道・・・・ポプラ並木の陰には付近の農民がハミ瓜やスイカの露店を開いている。

ミス スイカ・・・特に意味はありません。若いのが取り柄でしょう。

霊峰ボゴタ。・・・ボゴタ自体、霊という意味だそうです。海抜5,445b。

麺打ちその1・・・昼食をとった清真(イスラム)食堂(といっても清真食堂以外ないが)。
         うどんを注文した。まず、洗面器に寝かしておいた麺を一定量取り出す。

麺打ちその2・・・取り出し終わると、

麺打ちその3・・・麺を毛糸のように腕に掛ける。

麺打ちその4・・・掛けた麺を台に打ち据える。そして釜へ。

麺打ちその5・・・出来た麺を食す金子隆一氏。トマトやピーマンの入ったうどんで辛かったが、腰がしっかり
         していて、美味だった。後ろの部屋は「雅座」と書いてある個室だが、客がいない間、うどん打ちの
         職人が寝ていた。

五彩湾その1・・・砂漠地帯に入り、やがて五彩湾が近づいてきた。

五彩湾その2・・・スフィンクス岩。この岩の陰が男性用トイレになった(女性は遙か離れた所で)。

五彩湾その3・・・寝るのは個人用テント。地面の小石をどけて組み立て。

五彩湾その4・・・夜はキャンプファイアで日中歌合戦。と言いたいが、カラオケなしに歌えない日本人だった。

五彩湾その5・・・あらためて五彩湾をビッグなスケールで。(96.11.9追加)

ガススタンド・・・車はガソリンでうごくのです。というCMがありましたね。

蜃気楼・・・砂漠の周囲はこんな蜃気楼が・・・

スイカ休憩・・・・休憩の度、スイカやハミ瓜を食べる。それとも食べるために休むのか・・・

将軍廟・・・・・・建物の廃墟がある。が、これは廟そのものでなく、別の建物の跡らしい。

石樹溝その1・・・ジュラ紀後期の珪化木で知られる。

石樹溝その2・・・切り株の上に立つ劉さんとシュクルト氏(倉田さんの表記による)。私の記憶は違う。何しろ
         ”雪克熱提”と名刺にあるが、何と読むのでしょう?

石樹木その3・・・珪化木の丸木橋。さすがにこの上を渡る者はいなかった。

将軍廟発掘現場その1・・バスを降り、モノロフォサウルスが発掘された現場に向かう。

将軍廟発掘現場その2・・肋骨の化石が発見された所。

将軍廟発掘現場その3・・崖に何かの大腿骨(?)の断面が!!

将軍廟発掘現場その4・・二日目、やっと最後に見つけた化石の集積。

天池その1・・・・我々が泊まったパオ。一月くらい洗濯してないような枕カバーでした。もっとも私たちも
         二日間、風呂に入っていなかったけれど。

天池その2・・・・天池そのものは小さいけれど、とても綺麗な湖です。砂漠から森と湖の別天地で、
         眺めだけは天国です。

天池その3・・・・カザフ族は騎馬民族なのでしょう。私も馬に乗れと、30分ほどつきまとわれました。

天池その4・・・・天池から帰途寄ったパオ。ここで生まれて初めて馬乳酒を飲む。(翌年、モンゴルで
         いやというほど飲むことになろうとは、テンチサウルスもご存じなかった)。

天池その5・・・・馬乳酒を飲む。帽子はウイグルの娘用。

売る無知バザール・・ウルムチを変換したらこうなってしまった。ウーム・・・絶対、買う方が無知だよね。
          バザールの内部です。

ベルサウルス・・・・ベルとは美しいという意味。私のよく行くスキーの宿はステラベラという。
          売る和紙でない麗しの星だね。発見された骨が小さくて可愛らしかったからという。

カレーズ・・・・・・トルファンに向かう途中、立ち寄った。天山山脈の雪解け水を地下水路で導いている。
          こういう所では必ず(絶対日本人向けに)土産物屋を開いている。必ずあるのは「葡萄美酒夜光杯
          ・・・」の漢詩の掛け軸。夜光杯もちゃんとある。日本人はシルクロードに異常なあこがれを持っ
          ているからいいカモ。だんだん勝手な事を書き出してしまったな、ま、いいか・・・

高河故城・・・・・・こんな溶けかかった土壁が延々と続く。

高河故城その2・・・城の中心近く。寺院跡。

蘇公塔・・・・・・・1777年(乾隆42年)に当時のトルファン郡王スレイマンが父のイミンホージャの
          功績を称えて造ったもの。高さ44b。劉さんはどこでも、スケールになってくれて便利!

オアシスホテル・・・トルファンで我々が泊まったホテル。別名緑州賓館のとおり、周囲は緑に囲まれている。
          トルファンの歩道は葡萄棚に覆われている。毎日定時に歩道の水路に水を流し、育てている。

トルファンのショー・トルファン賓館の中庭で行われた。ウイグル族の歌と踊りのショー。4か国語で案内される。

トルファンのショー・この踊り子さん達の髪は膝まで届く長さだったが、自毛だったのだろうか。

高昌故城その1・・・玄奘三蔵がその大唐西域記で”高昌の故地を過ぎて・・・”と冒頭で記した地。高昌国は玄奘が
          旅だった時は独立国で、国王に大いに歓待されたが、帰路には玄宗に征服されていた。驢馬車は
          自分の歩いた跡を決してはずれない。レールになっている。

高昌故城その2・・・地元の子等がロバの鈴を売りつけにくる。

火焔山その1・・・・正面から見る火焔山は大ピラミッドのよう。この一筋の山道をご苦労にも登るアホも多い
          (大抵日本人)。

火焔山その2・・・・当然、西遊記の世界である。芭蕉扇をかついだ孫悟空の登場でござい。

トルファンバザール1・トルファンのバザールの建物。

トルファンバザール2・建物内部は布地屋が多い。

葡萄園の子供・・・・キャッキャッと逃げてなかなか被写体にならなかった。眉をつなげた化粧に注意。

樹下美人・・・・・・樹木の下に美人は、遙か西から伝わった豊饒の象徴であるそうな。正倉院にも鳥毛立女屏風なる
          美人図が伝わっている。

西苑飯店・・・・・・北京の宿、西苑飯店。真向かいに中国科学院古脊椎動物與古人類研究所がある。

研究所正面・・・・・この建物は竣工なったばかりで、当時は内部の展示は今だしの感濃厚だった。

董枝明教授・・・・・”博士”と書こうとして名刺を調べたら、研究所と内蒙古博物館の”教授”になっていた。
          某K氏によると、バカボンのパパそっくりだそうだが、いかがでしょうか。

レリーフ1・・・・・哺乳類型爬虫類のレリーフ。ディキノドンの大量死である。これがいかに貴重な物かは、
          倉田氏の文を!

レリーフ2・・・・・横にはみ出ていた部分。きっと貴重だからくっつけたのでしょう。

研究所の壁画・・・・壁には時代区分ごとに中国産の恐竜を描くという意欲的な試みが進行中だった。

バックヤード・・・・バックヤードでは展示標本の組立中。勿論、今では出来上がっているでしょう。

ツーショット・・・・教授の研究室では誰もがこんなツーショットを撮りたがったのです。某新興宗教指導者が
          ダライ・ラマとの関係を宣伝したがごとし?

北京の晩餐・・・・・その夜はサソリの唐揚げもでた。右の横顔の人は韓春雨博士。「はるさめって知ってる?」
          と尋ねたら、知ってると答えた。

瑠璃廠・・・・・・・やっとお開きです。よくお付き合いくださってありがとうございます。栄寶齋前でさようなら!!


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