「荒野の7人」ゴビ恐竜発掘ツアー'97


横たわるタルボサウルス 西ゴビ ブギン・ツァフ産出



1.免許がない!

 ウランバートルに着いて2日目。既に自然史博物館には昨日 観に行った。何もすることがない。そろそろ後発組が到着する 頃だ。
 そもそも、このツアーはねこまたぎさんが呼びかけたもの。 モンゴル国内はMEWMONという会社に頼んだが、そこまでたどり着く のは各自の努力に任せてある。北京経由の者、直行の者などとりどり。
 一応顔ぶれを紹介すると、 ねこまたぎ HYPERSAURS、PANTHEON、 MINEW、アンクルディノ、W、Sの7人。そのうち私とHYPERSAURUSさん を除く5人は、去年のインターンシップの発掘でフルンドッホに行った 人だ。

ネメグトサウルスの頭骨。丸いケースは反射して写しづらい!

 後発組のWさんは、日食ハンター。'97年3月9日の皆既日食 では、シベリアから画像を送った人だ。彼が、衛星電話を確保し、 ホームページの現地更新をしたい我々のためにノートパソコンを 2台(アミちゃんと、ポルくん)持ってきてくれたのだ。
 ところが、電話会社が持ってきた電話ではデータを送れない と、配達した社員は言う。それはないでしょう!と、早速その 電話を使って会社とやりとりすると、会社自体がその電話機で データ送信する免許を持っていないことが判明。Wさんは一時 、放心状態。
 結局、電話は返し、更新はできなかったのでした。

2.前車の後塵を拝す

 全員が揃ったところで、南ゴビに出発。飛行機でウムヌ (南)ゴビ県の県都、ダランザドガドへ。そこから車に分乗 して約1時間半。ウムヌゴビのツーリストキャンプに到着。 一昨年泊まったが、再び訪れるとは思いもしなかった。
 要は、その飛行機で到着した全員がツーリストキャンプに 泊まるのだ。車は違っても行程は似たようなもの。かくして、 午後は、ヨリーン・アム(鷲の谷)の渓谷探訪となる。




 どの車も一斉に同じ目的地を目指すので、必然的に先陣争いと なる。草原の道を行く場合は、普通、「前車の轍を踏む」である。 車が1回通っただけで、植生のダメージは大きい。1年たっても 痕がわかるくらいだ。だから、草原を傷つけないために決まった わだちを通る。
 しかし、この場合はそんなことを言っていられない。後ろに つけば、前の車のおこす土ぼこりを浴びることになる。7人が 乗ったバンをジープが追い越し、「前車の後塵を拝す」を実体験 するはめになった。
 途中、南ゴビ博物館に寄るのも一昨年と同じ。ただ、解説 の館長さん?が実によく日本語の単語を知っていて、動物の 剥製等も、日本語の単語で説明してくれたのは驚き。


 流れの脇の小道をたどり、谷はだんだん深くなる。ナキウサギ を間近に眺めながら進むと、オボー(石を積み上げたケルンの ようなもの)に出会う。右回りをして敬意を払う。
 やがて頭上に鷲が舞う頃になると、岩場も厳しくなる。もう 40分以上歩いただろう。この先に雪渓があることは判っている のだが、皆、そこまで行こうとは言わない。戻って休憩所のゲルで ビール三昧。






 アクシデントは、帰路にやってきた。既にゲルにいる頃から雨が ぱらついていたが、かなり激しくなった頃、車が停まった。ジープ が追い抜いていく。前輪のタイヤがパンクした。運転手が交換にジャッキ を持ち出す。皆、外に出て直るのをまっていると、今度は雹がふってきた! 大豆ほどの氷がエライ勢いで降ってくる。避ける場所がない! 車の陰で立ちつくしていたが、たまらず、中に避難した。あとで聞けば、 先のジープの連中は、そのころ草原で虹を観賞していたとか・・・。

 夜、キャンプでモンゴル伝統衣装のファッションショーがあった。物好きにも 見に行ったのは私だけ。9時半からの予定が、客の集まりが悪いせいか、10時過ぎ から開演。1人5ドル。行ってみて驚いた。ここは石和温泉か!というようなじいさん の集団が陣取っている。ふた昔前、農協といえば世界に冠たる海外旅行集団だったが (筒井康隆に「農協月に行く」なんて小説があった)。いやー、この頃はこういう マイナーな地にも跋扈しているんですね。
 モデルは、'97年ミスモンゴルほか、この地ではそうそうたる方らしい。皆、背が高い。 180cm近いように見える。伝統衣装は、16世紀から18世紀頃のもの。後代のものほど、清の満州族の衣装に似てくる。現代の衣装はセンス今いち。どうも体の線 に合っていない。シースルーでTバックが見えればいいっていうものじゃないよ。
 ちょっとモデルさんがかわいそうでした。