博物館訪問記

群馬県中里村恐竜センターアクセス

96年8月と、97年5月17日に中里村恐竜センター に行きました。そこで、両方の恐竜展を総合して、 報告してまいります。
 なお、97年の展示は4月26日から12月28日まで。時間は9:00〜16:30 月曜は休館(月曜が休日または振替休日の場合は翌日)。入場料は大人700円、 小中学生400円です。

 96年8月初旬の日曜、モンゴル恐竜展の開かれている中里村恐竜センター に行って来ました。地図で見ると高崎からかなり奥まった所です。東京方面から は西武池袋線で西武秩父まで乗って、バスでもあればその方が近いと思い、調べた のですが、西武秩父からのバスは埼玉県境までで終わり、その先数キロは歩く はめになることがわかりました。新町からのバスがどうなっているのか不明な まま、朝の時間帯なら通勤用に本数でているだろうと、小田急線の初電で上野に 向かったのでした。
 高崎まで新幹線で、新町に戻り、駅前のバス停の時刻表を見ると、アチャー! 朝は6時半頃1本あるあとは、10時15分まで無い!あと2時間半どうすれば いいんだという事態に陥りました。タクシーでは万札が飛ぶし・・・結局、高崎 の喫茶店で時間調整。
 高崎からバスで約1時間半。万場で乗り換え。マイクロバスの大きさのバス です。そこから約30分。中里村あたりは、自由昇降区間になっている。バス 停はない。皆、適当に運転手に声を掛けて降ろしてもらっている。が、初めて の者はどこが恐竜センターなのかわからない。予め、万場で乗る時に運転手に 恐竜センターで降ろしてくれるように頼んだ。が、忘れられた。それらしき 建物が見えたので、運転手に注意したら、100mほど過ぎて停まった。

 2度目は車で行ってみました。関越の本庄児玉から降りるのがふつうでしょうが、 ボーっとして、過ぎてしまい、藤岡で降りました。若干道に迷い、結局、新町から バスと同じルートで約1時間。 道路は大体2車線だが(国道)、村のメイン部分(旧市街?)は、車1台がやっと 通れる道幅しかない。これが数百m続く。対向車が来たらどうしようと、冷や汗もの。
神奈川県川崎市麻生区の自宅から約4時間かかり ました。着いたのはやっぱりお昼時。
 もうお昼なので食事をした。ここの食堂には「イグアノ丼」というメニュー がある。あやしげなので、別のを注文。今頃は「トロオ丼」とか「プテラノ丼」 や「ラ丼」が増殖しているかもしれない。と、昨年は書いたのですが、 こういう名前が好きな担当者が異動したそうで、増殖は「恐竜定食」のみ( 要予約1,000円)会場のアンケート用紙に増殖させるよう書いてしまった。 食堂の壁には、こんな人がと思うような芸能人の色紙が貼ってある。中に、旭 鷲山の手形もあった。やはりモンゴル出身だからか。

これがイグアノ丼。中身は牛丼、そば、香の物

群馬県中里村モンゴル恐竜化石特別展

 96年の会場は体育館のような建物で、冷房はなかった。 97年には新しい会場(活性化センター)が新築された。 某新興宗教の本部などと言われるが、モンゴル風だそうだ。 もっとも遊牧の民が最初から建築を建てた訳ではないので、 チベットやいろいろな要素が融合したのだろう。
2階の展示室までスロープで上がる。途中の壁に挨拶文や モンゴルの発掘現場の写真が掲示してある。人が通ると照明が付く仕掛け。
 展示は、商業用途以外は 撮影自由。ストロボもOKだった。そこでストロボも使って で撮りまくる。その成果が下の写真だ。

闘争化石

 モンゴル恐竜化石の国宝とも言うべき、闘争化石(中里村 では「格闘化石」と表示)が何と、これが同じ化石かと思うほど 洗われてリニューアル!ホント、”なおみ”が”ナオミ・キャン ベル”ですよ!そこで、before,afterの違いを、一昨年ウランバートル で撮影した写真と並べてみましょう。



   before                after(クリックすると大きな画像!)

 ご存じのとおり、これは植物食のプロトケラトプスと肉食の ヴェロキラプトル(ジュラシックパークのラプトルです) が格闘中にそのままの形で関節したまま化石になった、唯一のものです。  この化石は、1971年8月12日、燃える崖で有名なバイン・ザクの西方 約30kmのツグリキン・シレという所でポーランド隊のA・スリムスキー 博士が発見したものです。プロトケラトプスはヴェロキラプトルの 前脚に噛みつき、他方はその鋭い爪をプロトケラトプスの体に突き立てて います。これがどういう事情で化石化したかは推測の域を出ませんが、 単に襲われたのか、巣を攻撃されたのか、いろいろ想像できます。
では、もう1枚、もっと上から撮った写真を。



クリックすると大きな画像!

サイカニア

"Saichania chulsanensis"サイカニア・チュルサネンシス
モンゴル語で”美しい”赤い骨格が美しく見えたのでしょうか。
曲竜亜目、アンキロサウルス科。全長7m、装甲を持つ4脚歩行の 植物食恐竜。尾は骨質の棍棒、全体にこぶやスパイク。白亜紀後期に モンゴル南部に生息した。

組み立てられたサイカニア。 モンゴル時代のサイカニア と全く印象が違う












サイカニア頭部。(画像をクリックすると、顎部分の拡大画像。 上顎の歯にギザギザとした葉のような、曲竜亜目の特徴が見えるようだ。)














こんな風にインネンつけられたら怖い!

















サイカニア尾部。アンキロサウルス科だが、先端の骨質のふくらみは 目立たない。むしろ胴体からのとげが、だんだん小さく丸くなっていく 感じ。尾全体が骨質の腱で強化されているのがわかる。(クリックすると大きな画像!)


















インゲニア

  Ingenia yanshiniインゲニア・ヤンシニ’
”インゲニア・カダックにちなんだ名”だそうだが、 これが人名なのかどうか、私は知りません。異説として 「インゲニ(産地名)」や、たぶん誤説の「天才」 という解説もあります。
オヴィラプトロサウロス下目、インゲニア科。記載者は、 リンチェン・バルスボルド。'81年。時代は白亜紀後期。全長1.4mほど。
 私はこの人の名前はチベット系かと思っていた。が、バルスボルドはモンゴル 語で”虎・鋼”なのだそうだ。強そう!
 彼は、ほかに アダサウルス、アンセリミセス、コンコラプトル、 を命名し、エニグモサウルス科、インゲニア科、オヴィラプトル科を 命名している。さらに共同でガリミムス、エニグモサウルス、 ハルピミムスの命名もある。
 おっとインゲニアの説明だった。まず、全身の写真を見てみよう。 四つ足とも二脚歩行ともつかないような姿だ。 ウランバートル自然史博物館の標本 では、殆ど四つ足の組立だったので、見間違えたほどだ。

インゲニアの全身。
インゲニアやオヴィラプトルを含めたオヴィラプトロサウルス下目 の定義としては、
  1. 極めて大きな下顎窓を持ち、関節骨から内側に突起が伸びている
  2. 歯骨から後方に向かって、二つの長い突起が伸びている
  3. 下顎窓が水平の突起で仕切られている
  4. 夾板骨が極めて浅い
  5. くちばしへ向かって下顎の半分以上の長さにまで伸びた前関節骨
  6. おそらく先端が角質で覆われた歯のない顎
などがあるそうだ。

インゲニアの頭骨。左半身の内側から

 次に頭骨を見てみよう。何とも奇妙な頭骨だ。すぐにわかる のは、歯がない!ということだろう。オヴィラプトルと違って とさかは無い。この両者を幼体と成体、あるいは性的二型とみる説もあるそうだ。 生態は、よくわからないが、くちばしが丈夫なので、固い物も食べられただろう。 近縁のコンコラプトルは、その名”貝泥棒”のとおり、貝の殻をこじあけて食べた と推測されている。




インゲニアの頭骨。左半身の外側から
この写真を見ると、下顎窓を仕切る突起が折れたのか、なくなっているのがわかる。 グレゴリー・ポールは、インゲニアを「オヴィラプトル・ヤンシニ」と、しているが、 どうなんだろうか。オヴィラプトルの場合は、フィロケラトプスもモンゴリエンシス もとさかというか、こぶというかが頭骨にある。インゲニアは丸坊主だ。シロートと しては、別属でいいような・・・









インゲニアの左前肢
グレゴリー・ポールの「肉食恐竜辞典」によると「指全体がきわめて短いだけでな く、外側になるほど短くなっているのだ。また、指のつくりは非常に頑丈で、爪も外側 にいくほど小さい。手の構造がなぜこのようになっているのかは、オビラプトル類の もう一つの謎だが、食性に関係があるのではないかという説もある。 バースボルトは、泳ぐための水かきがついていたと考えているが、私としては 納得しかねる。水かきがあれば、指は長くなるはずであり、 短くはならないからだ。」と紹介している。
 どうも、モンゴルではオヴイラプトロサウルス下目の恐竜は半水生であり、当時 ありふれていた二枚貝を食べていたと推測しているようです。そういえば、会場 にも二枚貝の展示がありました。









胴体正面
さらに、「肉食恐竜辞典」によれば、 「始祖鳥と同じような大きな叉骨が見られるが、さらにはっきりした二股になっていて、 かなり大きな胸骨はヴェロキラプトルに似ている。」



























右後肢