上野の森に中華竜鳥を見た'99.3.13


 '99年3月13(土)、14(日)に名古屋に先駆けて、東京上野の中華竜鳥(シノサウロプテリクス)展示光景
国立科学博物館で中華竜鳥と孔子鳥の特別公開が行われた。
これを見に行かなければ恐竜ファンとはいえない!
 科博の案内板には「中華竜鳥特別公開」と貼り紙がしてあるが、
ドラクロワの「民衆を率いる自由の女神」の方に向く足が多いようだ。
13日午前に入館した時にはそれほど混雑してはいなかった。
右の写真が展示風景。手前が孔子鳥、奥が中華鳥竜(シノサウロプ
テリクス)だ。

 とりあえず、中華竜鳥の写真撮影。2つ並べたのは特に意味はない。
間違ってもステレオ写真ではありません!

中華竜鳥(シノサウロプテリクス)中華竜鳥(シノサウロプテリクス)

さらに部分をアップして。通常頭蓋や骨盤、指骨など複雑な部分を撮影
することが多い。
中華竜鳥(シノサウロプテリクス)上半身中華竜鳥骨盤

一方、孔子鳥はミネラルフェアなどでもよく見かけるため、それほどの感動はない。
ただ、雌雄一つがいは珍しい。
孔子鳥
オスの尾羽の長いのが印象的。

一羽づつの写真も
孔子鳥オス孔子鳥メス

午後は陳丕基(チェン・ペイジ)教授(中国科学院南京地質古生物研究所)の講演

本館2階講堂で。司会は冨田先生(英語)。陳教授
 陳教授は'36生ということで、結構年輩にみえる。スライドを交えての説明。
なお、以下の文章はパンテオンでノートしたものによるもので、元々の講演内容を誤解
していたり理解が不十分なところがあります。あくまでもノートの範囲でお読みください。
引用禁止!
最初に2年前のフィラデルフィアのオストロムほかのいわゆるドリームチームの面々の写真など紹介。
2枚目は中華竜鳥の北京標本(模式標本)の写真。発見者の農民が2つに割った標本の1を北京、他を南京に売ったのですが、記載は北京。だが、骨の 85%は南京標本にあり、現在より詳しい研究がされているそうです。
 また、記載者はトリの方に分類して中華竜鳥としたが、現在は恐竜として「中華鳥竜」ともいっているそうです。
 その後数枚、中国の恐竜産地特に東北部の地図等を紹介。
北票や朝陽付近の発掘箇所などです。現地写真も出ました。
やたら農家の新築が多いのですが、農民が鳥化石を掘り出して売って景気がいいため
だそうです。一家族で一つ穴を掘り(見た感じは2から3m四方で深さも4から5m)、一つ
の穴から2,3体の鳥化石が出るそうです。

 地層は火山灰を多く含んだ湖成層で、緻密な頁岩だそうです。この地域(遼寧省という
より広い範囲で)は堆積盆地を形成していたそうで、動物は 20のグループに分類できる。
産出する化石の例として、エステリア(甲殻類)、リコプテラ(小さい魚)、この両者をあわ
せエステリア・リコプテラ動物群と命名されているそうです。
そのほかマンチュロケリス(カメ)、プシッタコサウルス、ヤベイノサウルス、アスタクス(エ
ビ?)、シノヘトロサウルス(淡水性爬虫類、かなり小さいトカゲ様。これは皮膚や脊椎の
突起も確認できる)などが紹介されました。

孔子鳥について
 孔子鳥骨格図の紹介がありました。尾が短い。展示標本は2羽のものですが、尾羽が
長いのがオス。火山活動で雌雄同時に死んだのだろう。中国のことわざに生まれ育ちは
別々でも死ぬときは同時に同じ所でというのがあるが、そのとおりになっている。
ただ、孔子鳥は今まで数百体見つかっているが、オスの孔子鳥の化石は全体の5%程度。
当時オスの地位は高かっただろう(笑)。

全く別種の小さいトリ化石写真について
ごく最近発見された別種のトリ。小さいが翼が発達していて爪なない。尾は長い。孔子鳥と
全く同じ層準から出ている。ということは、鳥類の初期の進化の中で単純に一つの進化の
方向というより、いろいろな方向に進化したと見た方がいい。
 始祖鳥はトリの進化の中で傍系の枝にあたるのではないか。ただし、この標本のトリが現
代のトリの直接の祖先かどうかはわからない。
 孔子鳥とは全く別のさらに進化したタイプ。鎖骨が孔子鳥よりさらに発達している。イーシュン
層(義県層)の下部から孔子鳥と中華竜鳥、この小さいトリはそれより上から出ている。

中華竜鳥について
写真(中華竜鳥の発見者、李印芳)中華鳥竜は口先から尾の先まで約68cm、少し若い個
体(人間なら中学生くらい)。その1年ほど前に見つかった別個体(尾の半分くらいが欠けてい
る)は成体。全長 1mを超すだろう。ドイツ、ゾルンフォーフェン産のコンプソグナトゥスとよく似て
いる。オストロムとベルンフォーファーは両者は同属かもしれないと言っている。ただし、歯は異
なる。セレーションがあり肉食恐竜。前肢は翼のようにはなっていない。中手骨が頑丈(コンプ
ソグナトゥスの特徴でもある)。羽毛状(まっすぐの広い繊維状)ただし、羽毛状構造物はトリの
起源を考える上で非常に重要だろう。
  '70年代、オストロムは始祖鳥を再研究して鳥類は小型恐竜から進化したとした。小型の肉食
恐竜は非常に活動的で温血と考えている。従って体温を保つ為に羽毛や毛が必要。
ただし、ドイツやフランスのコンプソグナトゥスに羽毛があったかどうかは不明。
中華竜鳥には羽毛状の構造物がある。トリの祖先が恐竜であったことを強力に支援する。

中華竜鳥成体の体腔の写真胃の中に小さいトカゲがある。写真下やや左に卵化石がある。腹肋
骨の下にある。小さいトカゲはヤベイノサウルスかもしれない。これは中華竜鳥が肉食であった証
拠。輸卵管に卵2つ。もう片側にも入っているかもしれない。卵化石はまだ生まれていないが、殻
が固くなっている。これは今のトリの卵とは違っている。トリの卵は生まれない腹中では殻が柔ら
かい。恐竜の卵は殻に模様がついている。しばしば恐竜卵が2つそろっている。1度に2つづつ産ん
でいるのだろう。トリの起源の研究の上でも卵と親の関係の上でも非常に重要な標本(たぶん唯一)。
2年前、その卵を研究した時に卵の中に骨が見つかった。この卵の中に胎児が実際に入っているか
どうか確認したい。ただ、そうすると卵を半分こわすことになるのでむずかしい(唯一の標本なので)。
卵は今のスズメの卵ほどの大きさ。

中華竜鳥について
頸椎10個、胴椎13個。10と13は肉食恐竜の代表的特徴の一つ。尾が非常に長く恐らく胴体の2倍
以上の長さ。尾椎は64個ある。腕は短いが頑丈そうにできている。
 たぶんエサとして小動物をつかまえていたのだろう。後肢は長く頑丈そうにできている。長い脚と
尾で推定されることは、これは非常に速く走っていた動物だとういうこと。
この時代、非常に沢山の湖沼があった。気候自体は乾燥していたはずだ。湖沼の周囲でエサを探
していたはずだ。空腹時には魚を食べていたのかもしれない。
 オレゴン大のジョン・ルーベンが、黒い部分(標本胴体の後半下部)は肺にあたるのではないかと言っ
ている。プロトフェザーは体全体を覆っていたのだろう。尾の部分、ところどころ羽毛が欠けているのは、
発見者の農民がクリーニング中に欠いてしまったもの。コンプソグナトゥスでは毛はみつかっていない。

植物化石
植物化石も全体で50種ほど見つかっている。写真:リャオシアという名の新種の植物。被子植物と考
える研究者もいる(裸子植物とする者も)。非常に乾燥した所に生える植物。これと同じではないがこ
の仲間の植物は現生でもあり、DNAを調べると被子植物的。ただし枝振りや外からみえる形態は裸子
植物的。(あとからの質問で麻黄の仲間と答えていました)このタイプの植物が被子植物の祖先にあ
たったのだろうと考える研究者が多い。別の標本に実をつけているものも見つかっている(雑誌サイエ
ンスの写真)。

会場からの質問
1中華竜鳥から中華鳥竜とされたいきさつ
 記載者の季強達はトリ側に分類していた。が、その後の研究で恐竜側にされた。

2中華竜鳥は同時代に既に孔子鳥がいる以上、トリの直接の祖先とはいえない。
 教授はトリの祖先はいつごろいたと思われるか。
 孔子鳥はトリだが、進化レベルは違うが同じ時代にレベルの違うものがいる事は 不思議でない
(ヒトとチンパンジー、ゴリラの関係を例に出しました)。 
想像だがトリの起源はジュラ紀の中期ではないか。

3中華竜鳥の分類は
 コンプソグナトゥス科に入る。この中にコンプソグナトゥス属とシノサウロプテリクス属が入る。
両者とも前肢が短く頑丈なので直接トリの祖先にあたることはない。
 たぶんトリの祖先は別のグループだろう。

4 月状骨はシノサウロプテリクスにあるか、またトンボはゾルンフォーヘンと同属と
 いったが、トンボ以外に根拠は。
 月状骨はある。指骨は3本。トンボ以外の根拠は、孔子鳥は始祖鳥と同じ3本指
 がある。また、絶対年代をはかった。フィリップ・カリーは1億2千万年前としている
(ナショナルジオグラフィックはこれを採用)。中国側では雲母ではかったところ1億
4千7百万年前。またゾルンフォーヘンは以前から1億5千万年前と言われている。

5 中華竜鳥の化石は何体見つかっているのか
 標本は3個だが、個体としては2。(同一個体が2つに割られて北京と南京にある)。