戻る

ロシアのペルム紀−三畳紀境界に起こった脊椎動物の生態系再編 11.05.04
 Ecosystem remodelling among vertebrates at the Permian?Triassic boundary in Russia
 M. J. BENTON, V. P. TVERDOKHLEBOV & M. V. SURKOV
 ネイチャー11月4日号 Nature 432, 97 - 100
 ※論文PDFファイルはBENTONのReprintsページからダウンロードできます。

 2億1千5百万年前、ペルム紀末の大量絶滅は、記録に残る中で最大のものだったと
 考えられています。世界中のデータを集計すると、海陸両方で科レベルで50%以上、
 種レベルでは希薄化解析によれば80-96%の消失があったことが示されます。しかし
 この消失レベルは、海洋域の局地的および地域的な研究から確認されたもので、陸
 上の記録は、そのように詳細に解析するのははるかに困難でした。

 この研究では、ロシアの南ウラル盆地で13の連続する地質年代ゾーンの範囲にある
 289の調査地点から産出した両生類と爬虫類、675標本を包括的に調査し、ロシアに
 おけるこの事変の本質を報告しています。

 地質年代は、ロシアの年代でペルム紀後期のKazanian およびTatarian から、三畳
 紀前期から中期のInduan から Ladinian まで、全体の年代は2千5百万から3千万年
 にわたっています。

 ペルム紀後期の間は生態系の多様性は複雑で、科レベルの絶滅も新しい科の出現も
 高いものでした。河川や湖には4から7属の小・中・大型両生類が数多い硬鱗魚や、
 数少ない淡水サメやハイギョを捕食し、木の茂る河岸では5から11属の様々な爬虫
 類が生息していました。小型のものは昆虫を捕食し、サイ程度の大きさのパレイア
 サウルス類は植物を食べ、オオカミからクマ程度の大きさのゴルゴノプス類は他の
 動物を捕食していました。

 科レベルではペルム紀末に82%が絶滅したとしています。これはそれ以前の絶滅より
 際立って高くはないのですが、違いは属および科レベル全てにわたり、多様性が失
 われ、低レベルになり、特定の生態系ゾーンは空白になったことだそうです。ペル
 ム紀後期には盛んだった科の交代も少なく、三畳紀前期には低い多様性の状態で安
 定性が大きくなったそうです。

 事変後、南ウラル盆地ではたった2つの科(小型植物食のプロコロフォン科と中型植
 物食のディキノドン科)のみ生き残り、三畳紀前期の河川・湖にはわずか3つの魚食
 (トゥピラコサウルス科、カピトサウルス科、ベントスクス科)、また小型・中型の
 昆虫食・四肢動物食者としてプロラケルタ科、プロテロスクス科がいるだけだった
 そうです。

 三畳紀前期の多様性の低レベルから生態系が再編されるには、その後1千5百万年ほ
 どかかったのですが、それでも魚食および昆虫食の小型動物、大型の植物食動物や
 食物連鎖の頂点に立つ肉食動物は、まだ空白のままだったそうです。それほど回復
 には時間がかかかり、ゆっくりしたものなのです。

 調査地点および標本のサンプリングにより人為的なバイアスがかかっていないか、
 疑問も出ますが、年代による調査地点および標本数の多少と属・科の数には相関は
 ないそうです。